身体的暴力
ドメスティック・バイオレンスとは?
「ドメスティック・バイオレンス」とは英語の「domestic violence」をカタカナで表記したものです。略して「DV」と呼ばれることもあります。ドメスティック・バイオレンスとは何を意味するかについて、明確な定義はありませ。
しかし、一般的には「夫や恋人など親密な関係にある、又はあった男性か ら女性に対して振るわれる暴力」という意味で使用されることが多いようです。
ただ、人によっては、親子間の暴力などまで含めた意味で使っている場合もあり ます。内閣府では人によって異なった意味に受け取られるおそれがある「ドメスティック・バイオレンス(DV)」という言葉は正式には使わず、「配偶者からの暴力」、「夫(妻)・パートナーからの暴力」などという言葉を使っています。
暴力は重大な人権侵害
夫・パートナーからの暴力などの女性に対する暴力は、女性の人権を著しく侵害する重大な問題です。少数の人が被害を受けているのではなく、多くの人が被害を受けているのです。
また、暴力の原因としては「夫が妻に暴力を振るうのはある程度は仕方がない」といった社会通念、「妻に収入がない場合が多い」といった男女の経済的格差など、個人の問題として片付けられないような構造的問題も大きく関係しています。
男女が社会の対等なパートナーとして様々な分野で活躍するためにはその前提として、女性に対する暴力は絶対にあってはならないことです。
一口に暴力といっても様々な形態があり、大きく分けると「身体的暴力」「精神的暴力」「性的暴力」に区分されます。これらの様々な形態の暴力は単独で起きることもありますが、多くは何種類かの暴力が重なって起こっています。
また、ある行為が複数の形態に該当する場合もあります。どのような形であるにせよ、暴力はれっきとした犯罪であり、絶対に許される行為ではありません。
殴ったり蹴ったりするなど、直接何らかの有形力を行使するもの。刑法第204条の傷害や第208条の暴行に該当する違法な行為であり、たとえそれが配偶者間で行われたとしても処罰の対象になります。
暴力を証明する医師の診断書
家庭内における暴力の事実は、医師の診断書等によって証明することができます。離婚裁判の際、この診断書があれば「婚姻を継続しがたい重大な事由」に当たるとして離婚が認められやすくなるといえるでしょう。
ただ、裁判では暴力に至った背景も考慮されますので、一過性の暴力と考えられる場合は、離婚が認められないこともあります。
身体的暴力の具体例
身体的暴力に該当する行為
- 平手でうつ
- 足でける
- 身体を傷つける可能性のある物でなぐる
- げんこつでなぐる
- 刃物などの凶器をからだにつきつける
- 髪をひっぱる
- 首をしめる
- 腕をねじる
- 引きずりまわす
- 物をなげつける
身体的暴力の体験談
私の髪の毛を引っ張ってひきずり回したり、け飛ばしたり。それで、私はもう動けなくなって、警察を呼ぶこともできなくて。外にもひきずり出されたりして。「このまま死ぬような事をされて、それで死ぬんだ」と思いました。それが一番怖かったことです。(30代)
カーッとしてくると、私の胸ぐらをつかむんですよ。そして何かわめきながら、壁とかにガンガンぶつけるんです。座ってる時だと、いきなり押し倒されて同じようにやられるんです。
そんな時は、「あ、殺されるかもしれないな」っていう恐怖が、やっぱりあるんですよ。(50代)
手を出し始めたと思ったら、今度は私の髪の毛を引っ張って、引き回して。そうするうちに首を絞めてきたんです。私が首に巻いたスカーフでギュウッと絞められて・・・。もうその時、私も「終わった」と思ったんです。相手が手を外した途端に、ウーッと息を吹き返した事に、自分で気がついたんですよ。(60代)
あたしが、何かいろいろ言った時、締めていたベルトを引っ張って抜いて、そのまま叩かれました。それでベルトのバックルに当たって、頭の上が切れて、3針ぐらい縫いました。(30代)
最初に受けた暴力の頃から、だんだんにひどくなっていって、最終的には刃物を持って脅されるという状況でした。
この先は「命の危険」が考えられましたし、子どもを連れて飛び降りたら、ラクになる」というような、そういう状況まで追いつめられてました。(40代)
性的暴力に該当する行為
性的暴力の具体例としては以下のような行為が挙げられます。
- 見たくないのにポルノビデオやポルノ雑誌をみせる
- いやがっているのに性行為を強要する
- 中絶を強要する
- 避妊に協力しない
性的暴力の体験談
いやな時も強要されて、辛かった。避妊をしてくれないので、ピルを内緒でもらって飲むようにしていました。それでも妊娠して、私が「産みたい」と言った時に、私のお腹をたたいて「堕ろせ」と言われて・・・。 その時に、「もうだめだ」と思いました。そして、子どもを堕ろしてすぐに、セックスを強要してきました。(20代)
疲れていた時に、無理やりやられた時に、いやがっているというのが相手に伝わってしまい、その後、かなり「素っ裸のまま殴る、ける」をされたことがありました。(30代)
性的なものの頻度がとても高くて、時を構わず言ってきました。そうすると私は何か自己評価が下がってしまうんです。拒絶するとまた暴力が起こるし、暴力を振るわれるのはいやだから、「自分はいやでもそれに従わなくちゃいけない」というのが、それはもう辛くて。(50代)
避妊具をつけることをすごくいやがったんですね。ですからアブノーマルっていうんですか、そういうことを強要する。「肛門のほうに入れれば、妊娠しないだろう」というようなことを、すごく強要しました。(30代)
「性的な行為というのは、男の思い通りだ」と。「男の言うことを、妻は聞くもんだ」という概念が、こびりついている人ですから。自分がいやな避妊の用具は使わない。(60代)
暴力問題の各種データ
配偶者から暴力を受けた割合
配偶者からの暴力は、家庭内で行われることが多いことから、実際の発生件数を把握することは困難です。
平成14年10月、内閣府が「配偶者等からの暴力に関する調査」を実施し、20歳以上の配偶者や恋人の男女から被害経験を聞いたところ、次のような結果が出ました。
- 身体に対する暴行をうけた(身体的暴行)
女性15.5% 男性8.1% - 恐怖を感じるような脅迫をうけた(心理的脅迫)
女性5.6% 男性1.8% - 性的な行為を強要された(性的強要)
女性9.0% 男性1.3% - 身体的暴行、心理的脅迫、性的強要のいずれかをこれまでに1度でも受けたことのある人
女性19.1% 男性9.3%
驚くべきことに、女性の5人に1人が、DV被害に遭ったと回答しています。このことからもわかるとおり、DVの問題は我々の身近な大きな問題であると認識する必要があるでしょう。
暴力から逃れられない理由
暴力から逃げられない心理としては以下のようなものが挙げられます。
- 恐怖感
被害者は、「逃げたら殺されるかもしれない」という強い恐怖から、家を出る決心がつかないこともあります。 - 無力感
被害者は暴力を振るわれ続けることにより、「自分は夫から離れることができない」「助けてくれる人は誰もいない」といった無気力状態に陥ることもあります。 - 複雑な心理
「暴力を振るうのは私のことを愛しているからだ」「いつか変わってくれるのではないか」との思いから、被害者であることを自覚することが困難になっていることもあります。 - 経済的問題
夫の収入がなければ生活することが困難な場合は、今後の生活を考え逃げることができないこともあります。 - 子どもの問題
子どもがいる場合は、子どもの安全や就学の問題などが気にかかり、逃げることに踏み切れないこともあります。 - 失うもの
夫から逃げる場合、仕事を辞めなければならなかったり、これまで築いた地域社会での人間関係など失うものが大きいこともあります。
暴力が被害者に与える影響
被害者は暴力により、ケガなどの身体的な影響を受けるにとどまらず、PTSD(post-traumatic stress disorder :外傷後ストレス障害)に陥るなど、精神的な影響を受けることもあります。
※PTSDとは、地震や台風といった自然災害、航空機事故や鉄道事故といった人為災害、強姦、強盗、誘拐監禁などの犯罪被害等の後に生じる特徴的な精神障害ですが、配偶者からの繰り返される暴力被害の後にも発症することがあります。
症状の具体例
- 自分が意図しないのにある出来事が繰り返し思い出され、そのときに感じた苦痛などの気持ちがよみがえる
- 体験を思い出すような状況や場面を、意識的または無意識的に避け続る。
- あらゆる物音や刺激に対して過敏に反応し、不眠やイライラが続いたりする
暴力が子供に与える影響
暴力を目撃したことによって、子どもに様々な心身の症状が表れることもあります。また、暴力を目撃しながら育った子どもは、自分が育った家庭での人間関係のパターンから、感情表現や問題解決の手段として暴力を用いることを学習することもあります。
DV加害者に一定のタイプはない
暴力を振るう加害者については、一定のタイプはなく、年齢、学歴、職種、年収に関係がないといわれます。人当たりが良く、社会的信用もあり、周囲の人からは「家で妻に対して暴力を振るっているとは想像できない」と思われている人もいます。
加害者の中には、家庭という密室の中でのみ暴力を振るう人もいますが、普段から誰に対しても暴力的で、見知らぬ人に対しても言いがかりをつけて暴力を振るう人もいます。 また、アルコール依存や薬物依存、精神障害等が関連して暴力を振るっていると考えられる人もいます。
加害者が暴力を振るう理由は様々あると考えられますが、その背景には社会における男尊女卑の考え方の残存があると言われています。
暴力の背景を探らなければ本質的な解決は難しい
暴力の背景を正確に把握することから始める
殴る・蹴る・物を投げる・・・といった行為は身体的暴力に当たり「この程度や頻度が深刻なものならば」離婚や慰謝料請求の原因となり得ます。
但し、私が現実の問題を深く掘り下げて検討すると、暴力を振るった側にも相応の理由があることがたくさんあります。ここでは身体的暴力に関する現実的な問題点や解決方法などを掲げてみます。
まず、正当な理由のない暴力は絶対に許されるものではありません。もしそのような暴力が頻発するなら、直ちに別居し、離婚の手続きを進めていくべきでしょう。
ただ、暴力の背景を探っていったとき、理由もなく暴力を振るっていたケースは少数でした。
相談者が「理由もなく暴力を振るわれる」と話していても、相手方の反論を聞くと、相談者が話さなかった様々な背景や暴力の理由が明らかになることが多々あります。
こういったケースでは、問題の本質を正確に捉え、的確なアドバイスや対応ができる人が周りにいるかどうかで、円満に解決できるかどうかが決ります。
理由もなく暴力を振るう人もいますが、一般的には相手なりの相応の言い分があるケースがほとんどです。
暴力の背景を正確に理解できなければ、本質的な解決は図れませんので、ここでは具体的な事例を元に検証していきましょう。
親族の不適切な関与は夫婦関係を崩壊に導く
たとえば妻が「理由もなく暴力を振るわれた!」と泣いて両親に相談したとします。一部には「理由もなく暴力を振るわれることは無いだろう。とりあえず彼に聞いてみよう。」と冷静に対処できる両親もいるでしょう。
しかし「何の理由なく暴力を振るわれた」という言葉だけを鵜呑みにして、夫の言い分も聞かずに一方的に夫を誹謗中傷し、夫婦関係のみならず親族関係が崩壊に突き進んでいくケースも多々あります。
こんな時、夫が暴力に至った背景をうまく説明できれば解決の途も開けてきますが、世の中は上手に説明できない人もいます。
すると、暴力の背景が明かにならないまま、妻が主張する「理由もなく妻に暴力を振るう夫」という言葉があたかも真実であるかのように事は進んでいきます。
ここでは問題の深刻さをイメージしやすくするため、夫が次のように真相を語ったと仮定して考えてみましょう。
夫が暴力の背景をこんな風に話したら・・・
確かに妻に暴力を振るいました。何故そんなことをしたかと言うと・・・、正直なところ自己嫌悪みたいなところがあります。結婚直後、妻から新車の購入をせがまれのですが、給料も貯蓄もそれほどありませんでしたので「今は難しい」と答えました。
しかし妻は思い通りにことに怒って、それ以降、こんな言葉で頻繁に私の所得の低さをなじるようになりました。
「もっと稼ぎのある人と結婚すれば良かった」
「無能な男と一緒になった妻は大変!」
「もう一度結婚するなら絶対に財産のある人を選ぶわ!」
こんな言葉を約3年間、ほぼ毎日浴びせられ、イライラが相当溜まっていました。そんなとき、仕事から帰ってテレビを見ていると、妻が娘にこんなことを言っていました。
自分に言うだけならまだしも、娘にまでそんな風に言われて・・・腹は立ちましたが、私の給料が少ないのは事実ですし、娘の前で喧嘩するのも良くないと思いましたので、気付かない振りをしてテレビを見続けました。でも・・・いくらテレビを見ても何も頭に入ってこないんです。だから僕は自分自身にこう言い聞かせました。
でもそんなことをしている自分が逆に情けなくなってしまって・・・手元にあるテレビのリモコンを妻の居る方に向かって投げてしまいました。
すると妻は、突然私がリモコンを投げた私に驚き、涙声で『私が何をしたって言うのよ!いい加減にして!』と言って実家に帰ってしまいました。そしてその後すぐに義母から電話が入りました。
僕は「リモコンを投げたのは悪いことだけど、元々怒らせるようなことを言ったのは妻の方だし、直接殴ったわけでもないのだから、義母も事情を話せば分かってくれるはず」と思っていたので、次のように話しました。
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。義母は私の言うことなど聞く耳持たずでこう言いました。
義母はそう言って一方的に電話を切られてしまいました。私がリモコンを投げたのは悪かったですけど、僕はここまでされなければいけないんでしょうか。
暴力の評価は、過去の掘り下げ方次第で変わってくる
いかがですか?真相は、双方から話を聞かなければ分からないものです。しかし現実は厳しい。周りの人間は当事者ではありませんから、いくら聞いても全てを知ることはできません。真相を知らぬまま、僅かの情報だけで全てを悟ったかのように語るのが普通です。
リモコンを投げつけた行為の評価も、その日の出来事だけを前提にするのか、それ以前に辛辣な言葉でなじられ続けた3年のエピソードも含めるのかでは、全く変わってきます。
本質的な解決を図ろうとするなら、過去の経緯も含めて検討すべきことは当然のことです。しかし、現実的な問題に直面した方々の多くは、目の前の出来事や当事者の言葉だけに目を奪われがちです。
「夫に暴力を振るわれた」と娘が泣いて帰ってくれば、「可哀想」という感情から、理由度外視で娘に味方してしまう母親の心情はある程度仕方ないところもあります。
しかし、娘だけの鵜呑みにして、常軌を逸した態度で感情的に罵詈雑言を浴びせるようなことになると、問題は余計に拡大してしまいます。
不利なことは表に出にくく、相手の非難は大げさになりがち
問題拡大の原因は当事者の言動にもあります。基本的に当事者は他人に事情を話すとき、相手の非難に繋がることは大げさに言い、自分に不利なことは言わなかったり控えめに言うものです。
先のケースでも、妻が夫を相当侮辱していた背景があったとしても、妻が母親に「うちはお金が無いから高い車は買えないねって話をしただけなのに暴力を振るわれた」と言っていたとすれば、嘘ではないけれども、現実とはかなり違ったニュアンスで外部に伝わることになります。
暴力を振るった人の多くは、暴力自体が悪いことだと認識しています。なのに謝罪が難しいのは、本人なりの言い分や理由があるからです。
ですから、暴力を振るっていても「暴力は良くないが、その背景を分かってもらえなければ謝罪はできない!」と言う人は結構います。
夫婦問題の細かな背景に耳を傾ける人は少ない
こんな夫の心情は、前述の夫の言い分を読んだ方なら理解できるでしょう。しかし、このような問題の背景を知らなかったら・・・・。
たとえば先程の暴力の際に妻が警察を呼んだとします。この時に駆けつけて事情を聞く警察官は、その日に起きた出来事くらいは聞くものの、それまでの経緯などはほとんど聞きません。なぜなら・・・言葉は悪いですが「他人ごと」だからです。
このように書くと警察官を悪人のようにも感じられますが、それは私たち自身にも当てはまることなのです。
詳しい事情を聞かない態度は、いい加減なようにも思えますが、そもそも警察官は原則として「民事不介入」ですから、刑事事件ではない夫婦問題等の民事事件の解決に協力する義務はありません。
ですから、刑事事件でない以上、細かな夫婦の問題にまではほとんど立ち入りません。こんなとき警察は、細かな背景などは聞かないままに、表面的な事象だけを捉えて
などと、底辺の人間に言い聞かせるように厳しく言い放ってしまいがちです。「そんなことは分かってる・・・」というようなことで非難されると、誰でも心が折れてしまいます。
しかし、私たち自身も知らず知らずのうちに「他人ごと」の対応をしていたりする現実をまず受け止めるべきでしょう。
表面的・形式的に物事を簡単に片付けられやすい世の中ではありますが、それでも私たちが一歩踏み込んで、他人の話に耳を傾け、その気持ちに配慮した形で対応できるなら、おそらく多くの暴力問題が片付くことでしょう。
誰しも大なり小なり無関心によって他人を傷つけているもの
人間の「無関心」も、暴力に近いものがあります。目に見えない暴力の加害者は、表面的な言動が他人を傷つけていることに気付かないことが多いです。私は何も警察だけが特別に悪いと申し上げているわけではありません。
夫婦の問題に関わる親族・友人・専門家・調停員・弁護士・行政書士・カウンセラーなど、どのような立場や肩書の人であろうと、大なり小なり人間は誰しも無関心によって他人を傷つけていたりはするものだ、と言いたいのです。
遠いアフリカで一日に何万人が餓死しようと、普通の人にとっては自分の虫歯が痛む方がよっぽど重大な問題です。「可哀想・・・」と思っても、自分の問題と同列に考えられるのはごく少数ではないでしょうか。
暴力問題の円満解決を図るためには、自分も他人を傷つけていることを理解した上で、次のように相手方の身になった考え方をした方が良いでしょう。
- 自分も相当夫を傷つけること言ってたな
- 夫なりに家族のために一生懸命働いてくれてるのよね
- 毎日給料が少ないと言われたら、夫も立場がないわよね
- 私が働いても、夫より稼ぐのは難しいな
- 夫は家で仕事の話をしないけど、ほんとは色々悩みがあるんだろうな
- 夫も他人と給料を比べられたら嫌だろうな
- 子供の前で安月給なんて言われたら嫌だろうな
暴力を受けた側の妻がこんな風に考え始めたら、円満解決に向けた展望が開けてくると思いませんか?
自分がされて嫌なことは他人にもしてはならない
孔子の「論語」には次のような一節があります。
子貢問うて曰く「一言にして終身之を行うべき者あるか。」
子曰く「それ恕か。己の欲せざる所、人に施すことなかれ。」現代語訳
弟子が孔子に「死ぬまで行うべき、といった言葉はありますか?」と質問したところ、孔子は「それは恕だ。自分がしてほしくないことは他人にもしてはならない。」と答えた。
「自分がされて嫌なことは他人にもしない」という言葉は、子供にも簡単に分かるような言葉ですが、実際に行うのは一生かかってもできるかどうか難しいことです。
日常には些細なことを含めると、数多くの「自分がされたら嫌なこと」がありますよね。「傷つくことを言わない」「乱暴な言葉遣いをしない」「時間に遅れない」「借りた物は返す」「本人のいないところで悪口を言わない」「愚痴をこぼさない」など・・・。
これらの実践は難しいことですが、暴力の問題もお互いがこの言葉の実践を試みるなら、ほとんどの問題は円満に解決するはずだと私は思います。
孔子のいう「恕」とは「相手を思いやって許す」という意味です。世の中は、暴力に至った背景の検討が不十分なまま、表面的に表れた暴力という事象だけを取り上げ、表面的な加害者だけが必要以上に非難される傾向があると感じます。
しかし、問題の円満解決を図ろうとするなら、当事者も関係者も「恕」の精神に基づいて事実関係を整理し、冷静に対処していくべきではないでしょうか。
暴力を振るった側の話にも偏見を持たずに耳を傾けてみる
暴力は絶対に許される行為ではありません。ただし、全体的な経緯を正確に把握し、責任の程度を慎重に検討する必要があります。
暴力を振るった人の多くは、暴力が悪いことと理解した上で「暴力の背景を理解してほしい」と思っているのです。ならば、表面的な暴力だけを取り上げて一方的に非難しても、本質的な解決に繋がる話し合いにはなりません。
暴力を振るった人の多くは「暴力の背景さえ分かってくれたら、ある程度のことは譲歩できる」と考えています。相手の立場になって考えることは、責任を追及する側のためでもあります。
暴力問題から派生する「偏見」や「無関心」によって傷ついた人にとって、「偏見なく、真剣に話を聞いてもらい、共感を得ること」は、問題の円満な解決にはとても重要なプロセスです。
このプロセスがないため、仕事もまともに手につかず、食事も喉を通らず、テレビを見ても楽しめず、睡眠もとれず、体重が激減していくなど、心身ともに疲弊している方々を何人も見てきました。この記事を読まれた方には「そうそう!」と共感された方もいることでしょう。
形式的で無関心な世の中ですが、私たちがもう一歩踏み込んだ形で他人の問題に目を向けることができれば、多くの暴力問題が解決するはずだと私は思います。