彼の離婚裁判を陰で見守った私の体験談

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自分が不倫の当事者になるとは・・・

裁判で和解した平成18年9月、彼は家に帰ってきてほっとしたように涙ぐみ、私と二人で抱き合って泣きました。振り返ると離婚までは本当に辛く永い道のりでした。

今から2年前の平成16年10月、私は本業の仕事とは別にある会社でアルバイトをしていて彼と知り合いました。彼は当時、家庭内別居の状態で「家に帰りたくない」といつも夜遅くまで残業していました。私自身、離婚経験があり家族の大切さがわかっていたつもりでした。

ですから彼から愚痴のメールがくるたびに「家族は大事にして夫婦は仲良くした方がいい」と答えていたのですが、食事を重ねるごとに二人の仲は近づき、翌年の平成17年3月にはついに『不倫』関係になってしまいました。

私は不倫なんてする人は大きらいでした。しかし、いざ自分がそうなってしまうと気持ちが止められず奥さんに悪いと思いながらも彼とは離れられなくなってしまいました。

同年4月になると、彼は突然自宅を出て私の家に居候するようになりました。彼が家を出た後、奥さんからはほとんど連絡がなくメールで「親としての責任はどうするのですか?」と言ってきただけでした。

慰謝料500万と養育費を月7万円払え

彼のほうから携帯に電話してもなかなか出てくれず、やっと5月の下旬頃自宅に話し合いに行きました。そこには奥さんの弟夫婦もいて「慰謝料500万と養育費月7万払え」と言ったそうです。

弟は「兄が裁判所で働いているから知り合いの弁護士を雇った。」と言い、奥さんと一緒になって「鍵を置いて出て行け。もう二度と帰ってくるな」と家の鍵をとりあげました。

「やり直したらどうか」の言葉は一言もなかったそうです。彼はこの時点では、まだ子供も小さいし奥さんと別れるか迷っていて話し合いをしたがっていました。

もし弟夫婦がいなくて夫婦二人だけでじっくり話しをしていればあるいはやり直すことになっていたかもしれません。

彼は悲しそうに「自分が500万で売りに出ていたら買ってくれるか?」私に聞きました。その後は慰謝料についてのメールのやりとりがあったぐらいで、会って話し合うということはありませんでした。話をしようとしても「話しなら弁護士として下さい」の一点張りでした。

無駄に終わった離婚調停

平成17年10月入ると調停の呼出状が裁判所から届き、いよいよ調停が始まりました。彼は島根県に転勤していたため、調停のために毎月、島根~広島を往復しました。

その時こちらの提示した養育費は、奥さんの年収450万(源泉徴収による)と自分の年収約600万+ローン返済を考慮し月3万円にしましたが、奥さん側の7万という請求は変わらず調停は不調に終わりました。

予め「調停委員はほとんど役に立たない」とは聞いていましたが、実際調停員は具体的な提案のできない人で、調停はまったく無駄に終わりました。

驚いたことに奥さんは既に離婚を前提として、子供の扶養者を彼から自分に移し、児童手当をも受け取る手続きを開始していました。また、調停開始前に自宅マンションの賃貸契約を契約者の彼に無断で解約し自分の名義で契約しなおしていました。

奥さんは更に「車は慰謝料としもらうから!」と言って車の名義も勝手に自分に変更しました。しかし調停になると突如「車は慰謝料としてもらったのではない」と言い出し、こちらも何も書類にしてなかったので、結局車は慰謝料とは認めてもらえませんでした。

不倫の噂から嫌がらせを受ける

こうなると彼は奥さんとやり直す気持ちはまったくなくなってしまい、逆にもう絶対離婚すると言うようになりました。私の方はアルバイト先の会社で彼との『不倫』が噂になり、まったく関係ない人たちから中傷のメールをもらったり、一部の人に無視されたり、嫌がらせなどの「いじめ」にあい、よく一人で泣きました。

私は「彼は島根(私は広島)で離れ離れ・・・離婚して10年、掛け持ちの仕事を必死で頑張ってきたのにその結果がこうなのか・・・」と自分の人生を恨み、妻子ある人を好きになった自分を責めました。

そして12月にはそのアルバイトを辞め、毎週末に島根まで彼に会いに行くようになりました。『不倫』という弱みから、誰にも自分の本音が言えず次第に気分が暗くなりました。

私は精神的に限界を感じ、本業の仕事も3月末に辞めました。そして彼のいる島根に引越ししようと決心しました。平成18年5月。彼のいる島根に引越しをして再び同棲生活がはじまりました。

離婚裁判に突入

6月に入ってから裁判になりました。主な訴状の内容は以下の4点です。

親権者を原告(奥さん)にする
② 慰謝料 500万
③ 養育費 保育園に通っている間(子供2歳 1人)は7万、小学校に入ってから20歳まで5万円
④ 裁判費用は被告(彼)が払う

訴状には私の事も書いてありましたが名前を間違えていました。彼は裁判が始まっても弁護士は雇いませんでした。その理由は自分のことは自分が一番わかっている。

家を出たきっかけは女性(私)だけど、それ以前に家庭内別居され、結婚してからセックスはほとんど拒否され続け、子供ができてから家を出るまでの2年間は一度もなかった。

食事の支度もほとんど自分がしていたし、離婚に至ったのは妻にも責任がある。だからきちんと話した上で自分が悪かったことへの責任をとりたい、というものでした。

最初の口頭弁論では相当やられたようでした。しかし彼は自分を素人扱いされたことで戦う気持強くなったようでした。

弁護士は不倫相手の私の事も訴えると言ってきました。私は失業中でお金がなく借金も200万近くあり訴えられても到底払えません。その頃は精神的にもかなりまいっていて死んだら500万円保険金が出るから死んで払うしかないとずっと悩んでいました。

調停が不成立になってから私達はインターネット利用し、離婚裁判について色々調べました。その時、偶然行政書士の先生のサイトを見つけて、思い切って電話してみました。すると思いがけず親切な対応をして頂き、それまで溜まっていた自分の思いを話すことができました。

「今がどん底ならあとは上がるだけじゃないですか」という先生の言葉を聞いて「死ぬしかない」から「生きていくんだ」という気持ちに変わっていきました。

彼は裁判の期間中ずっと冷静でした。私がどんなにイライラしても怒らず受け止めひとつずつ解決してくれました。島根にきて周囲が私達の関係を知らないことも救いでした。

2回目は書類の確認だけであっけなく終わりました。次の裁判の日時を決める時「○日はどうですか?」と裁判長が聞くと、原告の弁護士は「その日は広島に来るついでがないから他の日にしてください」(弁護士は福山市の人)と答えました。

彼はそれを聞いて「もしかしてこの弁護士は大したことないかもしれない」と感じ、次からは落ち着いて受け答えできるようになったそうです。

拍子抜けの陳述書

8月に届いた最終の原告側の陳述書には拍子抜けするようなことが書いてありました。まず奥さんは私達が知り合う前から「夫には女がいる」と疑っていました。(別な女性がいたのかもしれませんが・・・)

また、彼の携帯を常にチェックし、私からのメールを見て「女には他にも男がいたようだが、別れて彼一人に絞ったようだ(もちろん勘違い)」と書いてあるなど、陳述書の記載はほとんどが思い込みや噂によるもので、不貞関係の証拠は何も出てきませんでした。

陳述書には最初の訴状内容とかみ合わないことがたくさん書いてあり、「弁護士はちゃんとチェックしたのか?」と思いました。そして彼が言っていたことは真実だったのだとわかりました。

私が言うのは筋違いですが、陳述書には「この二人は私がいなくても壊れていたかもしれない」と思うような内容がたくさん含まれていて、少し心が軽くなりました。

私達はいろいろ調べたことを参考に「離婚原因は不貞ではなく、お互いの性格の不一致と奥さんのセックスの拒否にある」と書きました。

奥さんはそれまで裁判には一度も出廷せず、最後の反対尋問で初めて出廷しました。そして「セックスなどは関係なく食事や遊びにいくだけで不貞行為です。」と裁判長に言いました。

「弁護士がついていながら何も勉強してないのか」と彼は驚いたようです。彼女にとって初めての法廷で緊張していたせいか、あまりにも幼稚な答弁に弁護士まで苦笑する場面もあったそうです。

和解による裁判の終結

結局、最後まで不貞に関する証拠は出ず、また私の事も何も調べていませんでした。心配していた島根での同棲についても何も言われませんでした。

その後、裁判長から和解の提案があり判決前に話し合うことになりました。不貞こそ認められなかったのですが、勝手に家を出たことと家を出て、今まで生活費を入れてなかったということで”解決金220万(月2万ずつ、ボーナス時には10万)養育費3万20歳まで”となりました。

そして被告(彼)が子供にかけていた生命保険を原告に譲渡し、名義変更の手続きに協力すること。親権は原告、裁判費用は双方が支払う、ということに決まりました。

220万という金額は彼にとって大きいですが、裁判を長引かせるより私との幸せを考えよう、二人なら払える金額だと思い同意したと言っていました。

原告の方は不満でいっぱいだったようですが、裁判は証拠が全てで不貞を立証できなければどうしようもなかったようです。

法律の知識がない人を追い出す裁判ではいけない
この裁判を通して私達の結びつきは次第に強くなっていきました。彼は裁判を終わらせたことで自信がつきこれから何がおきても乗り越えられると言います。

もし奥さんが弁護士任せず自分で調べて不貞の証拠を掴まれていたら、慰謝料500万どころか私も訴えられていたかもしれません。奥さんが動かなかった事、何も勉強してなかったことが私達には本当にラッキーでした。

今、私は職業訓練校に通って勉強しています。お金はないですがとても幸せです。裁判にまでなった事で彼の心は奥さんから完全に離れ私の方に来てくれました。そして夫婦のあり方、思いやりを勉強することができました。

彼に裁判の感想を聞くと「自分のことは自分でやるのが一番!やるだけのことをやったら結果がどう出ても受け入れられる。法律の知識がない人間を追い出すような裁判ではいけないし、自分の離婚の裁判なのに全てを弁護士に任せるのはいかがなものか」と言っていました。

離婚が成立してからも何度か”元”奥さんから、嫌味たっぷりのメールがきたり、弁護士を通して和解調書に書いてないお金の請求があったりしました。(当然、払う義務はないそうです)

裁判になった時は真っ暗になりましたが、今となっては裁判できちんと決めていて本当によかったと思います。妻子ある人と付き合う事はすごい覚悟が必要です。

経験してない人には理解してもらえないし、(私自身そうだったように)人を傷つけ自分も傷つきました。私は彼を本当に愛しています。だからこそ彼の子供には無理してもきちんと養育費を払っていこうと思います。

私達は平成18年に入籍しました。

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